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握れば拳、開けば掌、包めばメキシコの餃子

「お風呂掃除した子には50円あげます!」母から突然発行された号外に、地元の駄菓子屋「キャランド」の雑多な店内、その一角に輝くガメラの人形が欲しかった5歳の私は静かに、そして真っ直ぐ手を挙げた。

覚えている限り、私は大学生になるまでこのお風呂掃除以外の家事をしたことがなかった。地元である九州を離れ、県外の大学に進学し、晴れて一人暮らしデビューを果たした私を待っていたのは、洗濯・料理・皿洗い・掃除、八帖一間のアパートで淡々と襲いかかってくる初対面の家事たちだった。

四月、慣れないスーツに身を包み、結局慣れないまま入学式から帰宅した私は、未踏の地「料理」に踏み込もうとしている。「まずは買い物だ」と、しわくちゃなエコバッグを手にしたこの時をもって、永遠に続く家事との戦いの火蓋は切って落とされた。はじめてとは言っても時代は平成、インターネットが私を一流(巻き舌)シェフにしてくれるのだァァン!(エコー)──と、鼻息荒げて強気になる私が処女作に選んだのは、和食好きの姉の影響で当時熱狂的にハマっていた魚の煮付けである。

アパートから徒歩一分のスーパー「ニシナ フードバスケット」へ行き、母から教えてもらったコミュニティサイト「クックドゥ」であらかじめ調べておいた材料をあちこち探し回る。鮮魚コーナーには、体格に比べて二サイズほど小さいのか、ほぼノースリーブに見える白いTシャツを赤いジャージのズボンに深く入れ込み、四角い眼鏡に変な髪型で首から下だけ細身のフレディ・マーキュリーのような冴えない男が立っている。フレディは、魚が入った発泡トレーを裏に表に返しながらなにやら吟味している。端から順に魚を眺めながら歩いていると、徐々にフレディの「うわ!え!え!?ほんまに高ない??」という大きめの独り言が聞こえてくる。かなり声が高い──直角に曲げた腕に買い物かごを引っかけ、斜に構えて「ヤーネェ」と露骨に顔を歪める私の姿は主婦そのものである。余談だがこの男、名前を「シノハラ」という。同じ学科、さらには同じアパートの二つ隣の部屋に住んでいる。定期的にうちのインターホンを鳴らしては「器用そうやから」という雑な理由で散髪を頼まれる羽目になることを当時の私は知る由もなかった。余談だが、毎回裁ちバサミで雑なおかっぱにされてしまうことを当時のシノハラもまた知らない。

帰宅後、購入した材料を狭いキッチンの隅に置き、早速はじめての料理に取り掛かる。クックドゥに指示されるがまま夢中で切ったり混ぜたりしていると、残りの工程は「弱火で20分煮込む」だけになっていた。母が言っていた通り、料理とはレシピ通りにやれば案外簡単なものなのだ。すぐに30分が経過し、鍋のフタを開けると溜まっていた煙が一斉に飛び出してくる。のけ反りながら白く覆われた視界で目を凝らすと、私の処女作がそこにゆっくりと姿を現す。そこにはハガキ大の黒い塊だけが鎮座していた。まだ熱いのか、焼き石のようにシーと音を立てながらこちらを威嚇しているようにも見える。恐る恐る菜箸で触れると、それは陽の光を見たドラキュラのようにはらはらと散り崩れていった。まだ白く霧がかる部屋の中で、私は料理の背中を見失った。

あれから10年、自炊歴も自ずと10年だ。今や当たり前のようにフライパンに油を敷き(当時のクックドゥには「油を敷く」なんて手前味噌なことは書かれていなかったため、しばらくは油の存在を知らなかった)、タコライスに麻婆茄子に唐揚げに──とにかくいろんなものが作れるようになった。さて、先日私は羽付き餃子を作った。これは嘘だが、出来が良すぎてフライパンに白鳥が並んでいるのかと思ったくらいである。一つ一つ一生懸命に包んだ餃子はもちろん美味しいが、羽付きとなるとさらにバフがかかる。食後、何も残っていない皿をぼーっと見つめ、余った皮で明日も羽付き餃子を作ろうと決心し、その熱を保ったまま翌朝を迎えた。しかし翌朝、冷蔵庫を開けると、肝心の挽き肉がないときた。そこでふと思いついた(というより冷蔵庫にあるものを入れたらできた)アレンジレシピが下記である。

名付けて「チチェン・イッツァ餃子~中国行きのティケットかと思ったらメキシコ行きだった件!?~」だ。結論から言うと、かなり美味しい。サルサソースをディップせずとも、口に入れるとどこかメキシコの風が吹いてしまうムーチョグラシアス味(スペイン語で「どうもありがとう」の意味)(あ?)。おそらくニラとバターが奇跡的に香辛料の役割を果たしたことで、タコスやエンチラーダと同じエリアに迷い込んでしまったのだろう。これは我々が知る餃子とは全くもって違うが、本家を超え得る新手の餃子なのである。このレシピを伝えたいがためにだらだらと2000字も書いてしまっていることを考えれば、その美味しさと感動は想像に難しくないだろう。さあ、今日の献立は、チチェン・イッツァ餃子とビールで決まりだ。メキシコへのフライト、乗るか否かはアミーゴもしくはアミーガ次第である。最後の余談だが、スペイン語で「友」を指す「アミーゴ」、女性を指す場合は「アミーガ」となるらしい。